コリント人への第一の手紙 6:11-20
コリント人への第一の手紙 6:11-20 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。 すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。 食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。 そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
コリント人への第一の手紙 6:11-20 リビングバイブル (JCB)
あなたがたの中にも、そんな過去を持つ人がいます。しかし、主イエス・キリストと神の聖霊のおかげで、今はもう罪を洗い流され、あなたがたは神のために聖なる者とされ、神に受け入れられているのです。 キリストが禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。しかしその中には、自分のためにならないこともあります。たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。 食べることについて考えてみましょう。神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。食べることが第一だなどと考えてはいけません。なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。 また、性的な罪は絶対にいけません。私たちの体は、そんなことのためにではなく、主のために造られたのです。そして、主ご自身が、私たちの体に住もうと願っておられるのです。 神様は、主イエス・キリストを復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしておられます。 あなたがたの体は、キリストの体の一部であることがわからないのですか。キリストの体の一部と売春婦とを結びつけるようなことをしてよいでしょうか。とんでもないことです。 もし人が売春婦と結びつくなら、その人と彼女は一心同体になることがわからないのですか。というのは、聖書の中で言われるとおり、神の目に、二人の者は一人とみなされるからです。 しかし自分を主にささげるなら、その人とキリストは、一人の人として結び合わされるのです。 性的な罪とは無縁になりなさいと私が言うのは、そのためです。この罪を犯すことは、自分の体に対して罪を犯すのです。 体は、神様があなたがたに与えてくださった聖霊の家であって、聖霊がそこに住んでおられるのです。あなたがたの体は、自分のものではありません。 神様が多額の代価を払って、あなたがたを買い取ってくださったのです。ですから、あなたがたの体のどの部分も、神の栄光を現すために用いなさい。その所有者は神だからです。
コリント人への第一の手紙 6:11-20 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。 「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。 神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。 あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。 娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。 しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。 みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
コリント人への第一の手紙 6:11-20 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。 すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。 食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。 そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。