ローマ人への手紙 8:14-27

ローマ人への手紙 8:14-27 JCB

神の御霊によって導かれる者はだれでも、神の子どもだからです。 ですから私たちは、奴隷のようにいつもびくびくする必要はありません。神の家族の中に子どもとしてあたたかく迎え入れられたのですから、実の子どもらしくふるまい、神を「お父さん」と呼べるのです。 というのは、御霊が私たちに、あなたがたはほんとうに神の子どもであると語ってくださるからです。 私たちは神の子どもですから、神の相続財産を受けるのです。神がひとり子イエスにお与えになったものは、今では私たちのものでもあるのです。私たちが神の子の栄光を共に受けるのなら、当然、その苦難をも共に受けなければなりません。 けれども、私たちがいま味わっている苦しみは、後に私たちが受ける栄光に比べたら、取るに足りないものです。 そして、神がお造りになったすべてのものが、神の子どもたちの復活を忍耐と希望をもって待ち望んでいます。 その日には、罪、死、腐敗など〔この世界は今、神の命令により、不本意ながらこれらのものに支配されていますが〕は跡形もなく消え去り、この世界は、神の子どもたちが喜びをもって味わうことができる、罪からの輝かしい解放にあずかるからです。 私たちは、自然界もこのすばらしい日を待ち望みながら、苦しみうめいていることを知っています。 そればかりか、私たちクリスチャンでさえ、御霊を自分のうちにいただいて、将来の栄光を先取りしているにもかかわらず、罪からの完全な解放を待ち望んでうめいています。その日には、神が約束してくださった新しい体、すなわち、もはや苦しみも死もない体をいただくのです。 私たちは、このように信じて待ち望むことで救われています。信じて待ち望むとは、今は持っていなくても、やがて与えられると確信して待つことです。すでに持っていると思う人は、神が与えてくださると期待したり、信じて待ち望んだりはしません。 しかし、まだ起こっていないことを待たなければならないのなら、忍耐をもって、確信して待ち望むのです。 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどのように祈ったらよいかさえわからないのですが、御霊は、ことばに表せないほどの深い同情と理解をもって、とりなしてくださるのです。 すべての人の心を知っておられる父なる神は、御霊が私たちのために、神ご自身のお心にかなう願いをささげてくださる時、その願いの意図をもちろん知っておられます。

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