しかし、イエスは言われました。「あなたがたは聖書も神の力もわかっていません。思い違いをしています。 いいですか。復活の時には、結婚などというものはありません。みんなが天使のようになるのです。 ところで、死人が復活するかどうかについて、聖書を読んだことがないのですか。神が、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と言われた時〔すでに死んでしまったアブラハム、イサク、ヤコブがいま神の御前で生きていなければ、神は『アブラハム、イサク、ヤコブの神であった』と言われるはずです〕、あなたがたにも直接そう語りかけておられたのだということが、わからないのですか。神は死んだ人の神ではなく、生きている人の神なのです。」 群衆はこのイエスの答えに、すっかり感心しました。 しかし、パリサイ人たちはそうはいきません。サドカイ人たちが言い負かされたと知ると、彼らは彼らで新しい質問を考え出し、さっそくイエスのところにやって来ました。その中の律法の専門家が、 「先生。モーセの律法の中で一番重要な戒めは何でしょうか」と尋ねました。 イエスはお答えになりました。「『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが第一で、最も重要な戒めです。 第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。 ほかのすべての戒めと預言者たちの命令も、この二つから出ています。ですから、この二つを守れば、ほかの戒めを全部守ったことになるのです。これを守りなさい。」 それから、イエスは、回りを取り囲んでいるパリサイ人たちに質問されました。 「キリストをどう思いますか。彼はいったいだれの子ですか。」「ダビデ王の子です。」 「それでは、なぜダビデは聖霊に動かされて語った時、このように、キリストを『主』と呼んだのでしょうか。 『神が私の主に言われた。 「わたしがあなたの敵を あなたの足の下に置くまで、 わたしの右に座っていなさい。」』 ダビデがキリストを『主』と呼んでいるのなら、キリストが、ただのダビデの子であるわけはありません。」 これには、返すことばもありませんでした。その日以来、だれも、あえてイエスに質問しようとする者はいませんでした。
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