ローマ人への手紙 11:15-33

ローマ人への手紙 11:15-33 口語訳

もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。 もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。 しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、 あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。 すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。 まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。 もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、 「救う者がシオンからきて、 ヤコブから不信心を追い払うであろう。 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、 彼らに対して立てるわたしの契約である」。 福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。 神の賜物と召しとは、変えられることがない。 あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、 彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。 すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。 ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

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