ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。 霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。
ヤコブの手紙 2 を読む
シェア
すべての訳を比較する: ヤコブの手紙 2:20-26
聖句を保存したり、聖書をオフラインで読んだり、ティーチングクリップをみたりできます!
ホーム
聖書
読書プラン
ビデオ